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アラン・メリル 

ム`川わにじ res
 たびたび言及して来ましたが,アラン・メリルさんについて改めてご紹介します.アランさんは1951(昭和26)年2月19日にニューヨーク州のブロンクス区で生まれました.母親のヘレン・メリルさんが「You'd Be So Nice to Come Home To」でデビュしたのは1954年だったのでそれよりも前になります.父親はアーロン・サクスというサックス奏者でした.

 幼少時についてはつまびらかではありませんが,ハイスクール時代にバンドでヴィレッジのカフェ・ウァ?(Cafe Wha?)の昼の部に出演していたそうです.時期が異なりますが夜の部に出演していたジミヘンがチャス・チャンドラーにスカウトされた店ですね.

 日本にやって来たのは1968年頃で,再婚して市ヶ谷に住んでいた母親に呼ばれたそうです.上智大の国際部に籍を置いて,ギターとヴォーカルでの音楽活動やモデルをしていたそうです.

 1971年に元テンプターズ・元PYGの大口広司さん,元ハイソサエティーの横内タケさんとウォッカ・コリンズを結成.ちなみにPYGと綴るのはアランさんのアイディアだったとか.かまやつひろしさんのサポートもしていて,交友は後年も続きました.1973年には『時間ですよ』にもちょっと出演.

 1971年と1972年に自己名義で1枚ずつ,1973年にはウォッカ・コリンズ名義で1枚のアルバムを残しました.1974年に渡英してアローズ(The Arrows)を結成.トリオ編成でアランさんはベースとヴォーカルを担当.1975年に「アイ・ラヴ・ロックンロール」をリリースしました.

 1977年にアローズはアルバム1枚シンブル6枚を残して解散し,アランさんは翌年にランナー(Runner)を結成し,アルバム1枚シングル2枚をリリースしましたが1980年に解散.アランさんは10年以上の時を経てアメリカに戻りました.

 リックさんとどのようにして出会ったのかは不明ですが,2024年2月27日に言及したように,1981年9月13日のリックさんのニューヨーク・パラディウムでのコンサートに参加して,音源は1998年の『Rick Derringer & Friends』のタイトルでKing Biscuit Flower Hourのシリーズの1枚としてCD化されています.

 翌1982年にジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツが「アイ・ラヴ・ロックンロール」をカヴァーし,ビルボード1位の大ヒットとなりました.このようないきさつから翌年の『Good Dirty Fun』にはソングライターとしても認められての参加になったと思われます.
2025/11/28(金) 11:27 No.115 EDIT DEL
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